大衆の読解力

大衆の読解力

今のドラマにはセリフが多すぎる、ということについて考えています。これは印象としてそうだというわけではなくて実際にそうだということです。なんでも本を読まない人が増えたせいなんだかどうなんだか、いわゆる読解力に難のある方が多いので、なんでもストレートにそれも説明調にしなければ視聴者に伝わらないというんですね。人の命を奪ってはいけない、というメッセージを伝えるのに、その通りに言わなければいけないというんです。これでは面白くもなんともありませんが、しかしドラマにしたって小説にしたって映画にしたって、見てくれる人読んでくれる人がいて初めて成立するんです。どうしてもそれを意識しないわけにはゆきません。ドラマはスポンサーからの広告収入、映画は興行成績が問題になります。売れなきゃ放送されない公開されないんです。だから視聴者のレベルに合わせてセリフはわかりやすく簡単になっていく。メッセージも誤解のないように伝えなければならない。最近はちょっと猟奇的な犯罪があると、すぐにマスコミが「○○の影響」とかってゲームだとかアニメだとかの残酷な描写をやり玉にあげたりします。規制が厳しくなっている。危ないことはできません。

なんだかつまらないとは思いませんか。物騒ですけど本音です。本当につまらない。面白いことやおしゃれなことがやりにくくなっている。もっとみんな本読んでくれねぇかなぁ。

知り合いに、問題行動のある子どもに社会生活を送らせるため訓練する施設で働いていた人がいます。その人曰く、その子たちは本当に読解力がないそうです。というか単純なんですね。口に出されたセリフをその通りにとるんだそうです。中には敢えて「そうではないだろう」と読者に思わせるために書いたセリフもありましょうが、それをそうは思わない。たとえばある小説に目的のために次々と殺人を犯す主人公が出てきたとします。そして「夢を叶えるためなら他人なんてどうなったっていいんだ」と言ったとします。作者の意図としてはその主人公がそう言いながらもどんどん孤立していき、破滅へ転がっていく姿を書くことでそういう生き方が誤っていること、空しいことを書こうとしていても、その子たちは「他人はどうなってもいいんだ」と思ってしまう。と、いうんですね。

なんだかなぁ。一体どうすればいいんでしょうか。もっと面白い物語をつくるために。どうしたらいいんでしょうか。

婚活パーティー 名古屋

修羅場ってる

最近の若者は動詞を自由にカスタマイズする傾向にあります。「テンパる」とか「ディスる」とかね。これももはやカジュアルな日本語の世界では一般的な言葉なのかもしれませんが、先日職場で「修羅場ってる」のを見ました。

事件が起きたのは、ちょうどお昼ごろですかね。あまり人はいませんでした。うちのラインのトップが、先月から入った派遣の女性にある仕事を依頼したことから始まりました。依頼した仕事というのはエクセルでデータを加工する仕事でして、彼女は前任者から一か月くらい引き継ぎ期間があったんですが、どうもその仕事については引き継いでいないみたいだったんですね。まぁ、それ自体は仕方のない事だと思います。一か月の引き継ぎは長いですけど、他にも引き継がなければならないことは山ほどありますし、すべてを引き継ぐってわけにはいきません。それに見た感じそれほど難しい仕事ではありませんでした。なんとかなるかな?というくらい。

ただ、彼女は断ったんですね。毅然と。そもそも話が違う、と。決まった仕事以外はやらないという話だったではないか、と。で、これに対してうちの上司は「決まった仕事以外、というのは他のラインからの飛び込み仕事であって、自分はこのラインのトップなのだし、この仕事も頼んでいる仕事のバリエーションである」と。要は彼女はこの仕事を受けるのは契約違反だ、といい、彼は契約の範疇だ、といい話は平行線です。だんだん二人とも興奮してきて、私はひやひやしてきました。だって45分もケンカしてるんですよ。後半、うちのリーダーは「僕の依頼する業務は受けられないんですか?」「これを断られると想定していませんでした」とか興奮していて見ていられません。こっそり「お手伝いできますよ」と言って結局その仕事は私がやりました。

びっくりしたのはその次の日に、彼女は今月いっぱいでやめることになった、と言われたことでした。早くありません?確かに彼女の態度はどうかしらというところはありましたけれど、それにしたってその日のうちに派遣会社に物申したということでしょう。あまり働かない人ではありましたが、それにしたってこんな短期間でもういなくなるなんて。

なんだか初めての体験でひやひやです。修羅場っていやですね。